2016年6月 – NPOと地元企業による協働の事例(静岡県焼津市)
NPOと地元企業による協働の事例(静岡県焼津市)
青少年のインターネット問題に関わる教育啓発には、学校教員が正規の授業として行うものや、警察職員や携帯電話事業者による「安全教室」があります。その他にも、国や地方自治体による各種団体等への委託事業の形で、児童生徒向けの出前授業や、保護者向けの講座が毎年、各地で展開されています。いずれも、地域に根ざし、豊富な経験と高い専門性に裏付けられた団体が企画、運営することで、公的セクター自らでは難しい、きめ細かで実効性の高い事業展開が期待されています。その反面、契約に基づく委託・受託という官民間の役割分担には、「事業展開の速度が遅い」や「意思疎通や事務的手続きの負荷が大きい」といった難しさもついてまわりがちです。
今回ご紹介するのは、静岡県焼津市を本拠に活動を続けるNPO法人イーランチが、地元金融機関 焼津信用金庫からの、地域貢献活動の一環としての協力を得て、教育啓発講座の効果を高めるためのパンフレットをきわめて短期間で制作した事例です。この分野では全国的にもまだ珍しい、地域内での民間同士のパートナーシップの実現には、どのような判断があったのか、両者にそれぞれお話を伺うことができました。
(聞き手・文:高橋大洋、撮影:佐川英美 いずれも子どもネット研事務局)
※所属、役職は本インタビューを実施した2016年6月時点のものです。
ともに焼津に根ざした活動をしてきた組織
NPO法人イーランチは、平成15年(2003年)から「地域の情報化支援と女性の社会参加の応援」を目的として、パソコン講習などの活動を続けています。中でも、子どもたちのトラブルを減らすためのネット安全教室については、焼津市内やその周辺はもちろん、最近では北海道から九州に至る広い範囲で活動を展開しています。
NPO法人イーランチ理事長 松田直子さん 私たちはネットセキュリティなどの専門家ではないので、安全教室についても母親目線での内容というのが特徴になるでしょうか。女性の社会参加の応援という大目的もありますので、スタッフが無理なく続けられる、身の丈に合った活動を心がけてきました。 とはいえ、ネット安全教室については年々回数が増えています。小・中・高校での児童・生徒向けや教員向け、保護者向けなどを合わせると、年間に200回近く実施しています。自治体などからの受託事業については無料講座が基本ですが、それとは別に個別にご依頼いただくものについては有料でお引き受けしています。保護者向けの講座の受講者はお母さん方が多いですから、母親目線の団体として共感を得やすいところはイーランチの特色の一つと思います。
こうした充実した活動を支えるスタッフのために、研修の機会も大切にしています。
松田さん 進歩や変化の早いインターネットについての教育啓発に関わるにあたっては、受講者の方々に正しく伝えるために、絶え間のない情報収集は必要不可欠です。コミュニティ、セキュリティなど実際にサービスを提供する企業の方に来ていただき、専門的な知識を学ぶ機会を作っています。
そういったお付き合いの中での子どもネット研のユニークなところは、特定のサービスや商品を推奨するなどの偏りなく、技術面から教育啓発手法に至るまで、保護者の視点に立ち、半歩先くらいの情報提供をしてくれているところですね。そういう立ち位置で、信頼できる情報源はあまりありませんので、助かっています。
一方の焼津信用金庫は、港町焼津の発展の歴史を支えてきた金融機関。もちろん地域貢献にも力を注いでいます。
焼津信金 地域貢献部 地域サービス課 検印係長 北河里枝子さん われわれ信用金庫は、地盤となる地域の発展が自らの経営にとっての重要課題です。したがって地域貢献の活動範囲も、地域のためになる内容であることはもちろんですが、地域の将来や発展につながるものという視点で決めています。
実際には、地域のイベントへの協力など、当金庫の職員自身が参加するものが中心です。たとえば平成19年に始めた子どもたち向けの金融経済教室については、現在7名の担当職員がおり、2-3年ごとに、少しずつメンバーを入れ替えながら、小学校や特別支援学校などに毎年お邪魔しています。また、高校や短大でのキャリア教育への講師派遣もしています。他にも、地域の皆様を守るために焼津市の津波対策あんしん基金への寄付も行っています。
両者の出会いから支援の決定まで
そうした地元金融機関が、青少年インターネット問題を支援するようになったキッカケは、やはり地元でのつながりでした。
北河さん イーランチさんの活動については、当金庫の理事長がお客様を通じてその活動を知ったことがきっかけです。当たり前の話ですが、焼津の将来にとって、子ども・青少年の健全育成はとても大事なテーマです。わたしたちも実際にイーランチさんの講座を聞きに行ってみて、ネットいじめなど最新の状況に驚きました。焼津近辺だけでなく全国を飛び回るイーランチさんの活動については、お恥ずかしいですが、それまで知りませんでした。こんなに一生懸命やっている地域の団体は応援したい。また、焼津にこんな団体があるという事実を、地域のみなさんにも知ってもらいたいとも考えました。
とはいえ、その支援が本決まりになるまでは、公共的な性格を持つ金融機関ならではの慎重な検討があったと言います。
北河さん 信用金庫という役割上、地域を明るくするものであれば基本的にはOKなのですが、何もかもはお引き受けできませんので、当金庫としてもその内容は充分に吟味しています。今回のイーランチさん向けの支援についても、焼津やその周辺に、同じような活動をしている団体が無いかなどはいろいろと調べました。
幸い、イーランチさんの場合は、これまでの活動が長く、その実績や内容もハッキリと見えていて評価はしやすかったです。NPOとして法人化もされていましたので、会計面など組織運営の透明性でも安心できました。
実際に活動内容を拝見して、最終的には、こちらからイーランチさんに、何か協力できることは無いかとおたずねしました。その時に、講座で使われるパンフレットを作りたいという計画をお聞きしたので、当金庫としても協力しましょうと。
民間同士ならではの短期間でパンフレットが完成
国や自治体など、公的セクターによる委託事業では、事業の内容や進め方について予め仕様が細かく定められていることが普通です。また事業開始後も、節目節目で委託元から内容の確認、承認が求められることも珍しくありません。しかし、今回の民間同士のパートナーシップでは、そうした縛りはきわめて少なく、きわめて短期間で具体的な成果物が出来上がりました。
北河さん 当金庫にとってはこれまでの地域貢献とはやや毛色が違い、イーランチさんの活動へのサポートについては、パンフレット制作の部分で協力をしました。子どもたちのインターネット利用に関わる問題が身近にあるだけでなく深刻で、子どもだけでなく、大人への教育啓発も大切なことは、イーランチさんの講座に参加してみると、あらためてよく理解できました。しかし、何をどう伝えるべきかなどについて、こちらには具体的なアイデアはありませんので、その中身については専門性の高いイーランチさんにお任せするのは自然なことでした。信金の名前は入れてもらえるようにお願いしました。
松田さん 焼津信金さんから、パンフレットの制作について協力いただけることが正式に決まったのは3月でした。すぐに具体的な制作を進めました。おかげさまで子どもたち向けと保護者向け、計二種類のパンフレット、あわせて8万部を作ることが出来ました。5月の連休明けからは、配布を始めています。実際には学校などで使うことも多いため、焼津市教委には事前に確認をとりましたが、焼津信金さんからは、内容や表現について完全に任せていただき、自由に作らせてもらったので、このような短期間で完成させられたし、とても進めやすかったです。
実際にパンフレットの活用が始まり、両者ともに確かな手応えを感じ始めています。
北河さん 出来上がったパンフレットについては、当金庫職員にも趣旨など含めて説明し、支店などの窓口にも置いています。当金庫の地域支援についての、具体的な職員向けメッセージにもなっています。
パンフレットの出来上がりを拝見して、やはり上手なものだなと思いました。こちらではとても作れないものです。そして、子どもたちだけでなく、保護者にキチンと伝わることの重要性もあらためて感じています。
現時点での我々の支援の範囲では、パンフレットの配布まではカバーするのが難しいと思っています。行政の委託事業などイーランチさんの活動を通じて、地域の内外でとても効果的に利用してもらえているのがありがたいことです。
松田さん パンフレットだけを配布するのではなく、わたしたちの講座を受講してくださった方に、要点のおさらいや家庭でのルールづくりなどの場面で活用してもらうために持ち帰ってもらうことを基本としています。6月にこのパンフレットについて地元紙に記事として取り上げていただいたことで、焼津近隣の地域からも講座の引き合いが来るようになっています。裏表紙に入っている焼津信金さんのお名前は、受け取った保護者にとって、パンフレット自体の信頼感を高める効果もあると思います。
パートナーシップにはさらなる将来展望も
将来的には、両者のパートナーシップはさらに深まる可能性もあるようです。
北河さん 当金庫でも元々、振り込め詐欺に代表されるような、経済的な犯罪被害対策や、その一環としての安全教育の経験は子ども向け、年配の方向けともあるわけです。しかし最近はインターネット利用に関わる金銭的な被害も増えているので、その要素を加えていく必要もあります。今回のイーランチさんとのパートナーシップは良いきっかけになりそうです。たとえば、出前授業の担当職員がイーランチさんの講座を見学したり、その消費者教育における知見・経験も提供いただくことで、新たなメニューを追加していくことなども考えられるかもしれませんね。
松田さん 焼津信金さんの社員向けの教育にイーランチが協力するなどで、より地域に根ざした活動を展開していきたいです。
イーランチも含め、青少年インターネット問題の教育啓発に関わる地域団体の活動の多くは行政の委託事業によって成り立っています。
松田さん 私たちの場合、活動を始めた頃は行政の委託事業がどういうものかすら分かっていませんでした。自分たちだけでは出来ない範囲や規模の活動が出来るという面で委託事業の魅力は大きいです。しかし、国、県、市との事業を経験してみて、自分たちの活動にとっての意味合いをしっかりととらえる必要があるのだと考えるようになりました。おこがましいようですが、受託する事業をしっかりと選んでいくことも大切なんだと。
一方、民間との協働については、まず、相手のあることだ、というのが公共の委託事業との最大の違いになるでしょうか。まず、先方に志があることが前提になりますよね。それと、自分たちのやりたいことや、進め方、NPOとしての理念などとが合っているのか。さらには、両者のタイミングが合致することも必要です。そういった要素を全て満たした数少ない接点がつながっていくという意味では、運命的なものも必要になってくるのでは、とまで思いますね。
松田さん ここまでの活動をあらためて振り返ってみると自分たちは恵まれていたと思います。大げさでなく、ラッキーがラッキーを呼んで今日まで来たような感じです。でも、とにかく毎回の活動は手を抜かず、丁寧に、笑顔で、受け入れてもらえるように心がけてきました。そしてこの先どこまで行っても、その積み重ねしかないような気がするんです。それを見てくれた誰かが、また次の縁をつないでくれる。
今回の焼津信金さんとの協働についても、その結果なんだと思っています。これからも、自分たちの理念からブレないように、また、あまり無理をしすぎないことを大切に、活動を続けていきたいです。
青少年インターネット問題の解決には、子ども・大人ともに学習と経験が欠かせません。学校現場など、公共的な取り組みの一層の充実に加え、今回のような民間同士のパートナーシップが他の地域にも広がり、それぞれの状況に合った教育啓発が展開されることが大切なのではないかと感じられました。
子どもネット研では今後も、保護者支援に役立つ調査研究や教育啓発カリキュラムの提供などを通じて、こうした地域ごとの取り組みを支援していきます。